スメタナ四重奏団

Jiří Novák

イルジー・ノヴァーク (9519249102010


J.ノヴァークは、ホルニー・イェレニーというヴィソケー・ミート(プラハより東に100Kmにある街)の近くにある小さな町に生まれ、公務員の父と、主婦として家庭に従事していた母の一人っ子として生まれる。


父は、独学でヴァイオリンを学び、公務員としての仕事の傍ら、ヴァイオリンを町の子供たちに教えていた。


J.ノヴァークが一番始めについたヴァイオリンのベーム先生は、ピアニストであり、オルガン奏者でもあった。

5歳のときに、初の公の舞台に立つ。

後に、チェコ四重奏(スメタナ四重奏の前任)の第一ヴァイオリン奏者であるカレル・ホフマンに師事する。

7歳のときに、チェコノネットの結成者である、エミル・ライヒネロヴィー教授の弟子入りする。

10歳のとき、当時チェコの大統領であったガリク・マサリクの前で演奏する機会を与えられると、演奏をとても気に入られ、それを機に奨学金を得ることとなる。

第二次世界大戦中、14歳になたJ.ノヴァークは、プラハ音楽院に入学し、インドジッハ・フェルダ教授に師事する。


第二次世界大戦時中、チェコはドイツの保護領であったため、チェコ人の多くはドイツへ労働者として働きに出なければならなかったのですが、偶然、ドイツ・ドゥーイスブルクの歌劇場が今現在プラハにある国立歌劇場で演奏することが決まり、J.ノヴァークはそこで、働く機械を幸いにも得て、ドイツへいかずに済んだ。戦後、ドイツ・フィルハルモニーというチェコにあるドイツのオーケストラでしばらくの間、第2ヴァイオリン奏者として、働いた。

その後、1945-1947の間、タリヒ室内楽合奏団のコンサートマスターを勤め、そのメンバーの中に、ヨゼフ・ヴラッハもいた(後のヴラッハ四重奏の第一ヴァイオリン奏者)。タリヒ室内楽合奏団の結成者でもあるヴァーツラフ・タリヒは、J.ノヴァークに数多くのソリストとしての演奏機会を与えた。

しかしながら、1948年、チェコスロバキアはソヴィエト連邦に包囲されたため、多くの人々が政治的重圧で、様々な障害を得ることになり、ヴァーツラフ・タリヒもその一人であり、彼は政治的重圧で音楽活動をすることを退け、合奏団も演奏する機会が激減した。

194712日に、長いこと探し続けられていた、スメタナ四重奏の第一ヴァイオリニストとしてJ.ノヴァークが勤めることが決まる。

1947-1952までプラハ芸術アカデミーに在学中でもあったJ.ノヴァークは、ヤロスラフ・ペケレスキー教授(オンドリーチェク四重奏の第二奏者)のもとでも、研鑽を積んだ。卒業演奏会では、チェコフィルとA.ハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲を演奏した。


スメタナ四重奏としての活動の傍ら、ソリストとしてのコンサート活動もしていた。

チェコフィルとモーツァルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調KV.218とパガニーニのヴァイオリン協奏曲ニ長調をヴァーツラフ・タリヒの指揮で、パリアメント・レコードとスプラフォンからLP録音をした。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮で、チェコフィルハーモニー管弦楽団と1967年にバルトークのヴァイオリン協奏曲、1977年にI.ストラビンスキーのヴァイオリン協奏曲を共演した。

チェコフィルハーモニー管弦楽団のLP録音の際、Orfeusのソロヴァイオリンパートを受け持った。

1964年女医であったダグマル・ドヴォルジャーコヴァーと結婚し、ヴァイオリニストでもある娘、ダグマルがいる。


1969年からプラハ芸術アカデミーで、ヴァイオリンの教授を務める。

イルジー・パノハ(パノハ四重奏の第一ヴァイオリン奏者)、レオシュ・チェピツキー(ヴィハン四重奏の第一ヴァイオリン奏者)、ヤン・クワピル(タリヒ四重奏の第二ヴァイオリン奏者)とヴァイオリン界のヴィルトゥオーゾ、ハナ・コトゥコヴァーがJ.ノヴァークの弟子である。

1989年に、J.ノヴァークは、スメタナ四重奏の最後の日本ツアー”さよならスメタナ四重奏”でスメタナ四重奏者としての演奏活動を終了する。

スメタナ四重奏、引退後、ヴラッハ四重奏のチェリストであったヴィクトル・モウチュカ、チェコフィルの第一ヴィオラ奏者であったヤロスラフ・モトゥリークと一緒に弦楽トリオを組む。

その他、オルランド音楽祭、東京国際コンクール等、各地からマスターコースの講師やコンクールの審査員として呼ばれた。

1990年から室内楽の講師として霧島国際音楽際に招待される。

199672歳のときに彼の四重奏ついてのドキュメント”スメタナ四重奏について”をヤロミル・イレシュ監督により、クルムロフ音楽祭の際に演奏した演奏をドキュメンタリーにし、チェコ国営放送で放送される。

2010910日、86歳でプラハで息をひきとる。


1975年から国から寄与されたストラディヴァリウス”リボン1729年”を使用。

その後、その楽器はヴァーツラフ・フデチェクに渡り、今現在は、タリヒ四重奏の第一ヴァイオリン奏者のヤン・タリヒが使用している。


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