スメタナ弦楽四重奏は、1943年メンバーがまだプラハ音楽院の学生時代にアントニン・コホウトにより、”プラハ音楽院四重奏” として結成される。
1945年の11月6日に、プラハ市民図書館にて”スメタナ弦楽四重奏” としてデビューを果す。
結成当初のメンバーは、第一ヴァイオリンにヤロスラヴ・リベンスキー、第二ヴァイオリンにルボル・コステツキー、ヴィオラにヴァーツラフ・ノイマンそしてチェロにアントニーン・コホウトでした。1946年ノイマンが指揮者への道を決断したため、第一ヴァイオリンにイルカ・ノヴァークを、それまで第一ヴァイオリン奏者を務めたリベンスキーがヴィオラ奏者として迎え、1947の1月より世界の一線での活動が始まる。
チェコ音楽をはじめ、モーツァルト、ベートーベン、ハイドン、ブラームスやドビュッシー等、幅広いレパートリーを持ち、世界各地で演奏活動を行なっていた。
彼らの特徴ともいえる、全員が暗譜で演奏するスタイルも話題となっていった。
1956年リベンスキーの手の故障のため、スメタナ四重奏から脱退し、新しいヴィオラ奏者としてミラン・シュカンパを迎える。シュカンパは、それまでヴァイオリニストであったが、スメタナ四重奏のために、新たにヴィオラの四重奏パートを素早く身につけた。
1957年、初のアメリカ公演を行う。
彼らは戦後初めてアメリカに渡ったチェコの音楽家である。124回ものコンサートをアメリカで開いた。
1958年、日本などアジアへの演奏旅行。
1972年以降16年間、スメタナ四重奏は、ジャパン・アーツの取締り役代表の中藤泰雄氏を通じて来日し、数々の演奏会を開いた。
ヨゼフ・スーク、ヤン・パネンカやパノハ四重奏、その他、数多くのソリストとも共演していた。
1988年最後の日本ツアー”さよならスメタナ四重奏” が行なわれ、日本との別れを告げた。
1989年、スメタナ四重奏の最後のコンサートが、ブルノのベセドニー・ドゥームで行なわれた。