スメタナ四重奏団

History

04_Scan0028.jpg

スメタナ弦楽四重奏は、1943年メンバーがまだプラハ音楽院の学生時代にアントニン・コホウトにより、プラハ音楽院四重奏 として結成される

1945年の116日に、プラハ市民図書館にてスメタナ弦楽四重奏 としてデビューを果す。

結成当初のメンバーは、第一ヴァイオリンにヤロスラヴ・リベンスキー、第二ヴァイオリンにルボル・コステツキー、ヴィオラにヴァーツラフ・ノイマンそしてチェロにアントニーン・コホウトでした。1946年ノイマン指揮者への道を決断したため、第一ヴァイオリンにイルカ・ノヴァークを、それまで第一ヴァイオリン奏者を務めたリベンスキーがヴィオラ奏者として迎え、19471月より世界の一線での活動が始まる。01_Scan0017.jpg

チェコ音楽をはじめ、モーツァルト、ベートーベン、ハイドン、ブラームスやドビュッシー等、幅広いレパートリーを持ち、世界各地で演奏活動を行なっていた。

彼らの特徴とえる、全員が暗譜で演奏するスタイルも話題となっていった。

1956年リベンスキーの手の故障のため、スメタナ四重奏から脱退し、新しいヴィオラ奏者としてミラン・シュカンパを迎える。シュカンパは、それまでヴァイオリニストであったが、スメタナ四重奏のために、新たにヴィオラの四重奏パートを素早く身につけた。

 

1957年、初のアメリカ公演を行

彼らは戦後初めてアメリカに渡ったチェコの音楽家である。124回ものコンサートをアメリカで開いた。

1958年、日本などアジアへの演奏旅行。

04_Scan0033.jpg1972年以降16年間、スメタナ四重奏は、ジャパン・アーツの取締り役代表の中藤泰雄氏を通じて来日し、数々の演奏会を開いた。

ヨゼフ・スーク、ヤン・パネンカやパノハ四重奏、その他、数多くのソリストとも共演していた。

1988年最後の日本ツアーさよならスメタナ四重奏 が行なわれ、日本との別れを告げた。

1989年、スメタナ四重奏の最後のコンサートが、ブルノのベセドニードゥームで行なわれた。

All materials come from personal collection, copying isnt allowed without permission.
Copyright (c) Dagmar Virtová